とんかつQ&A「グラフィティ」

Q.


自分が住んでるアパートへの落書きがヒドすぎて憤慨しています! 本当に! マジでひどい! ひどすぎる! 僕もストリートアート自体は好きですし、オシャレなグラフィティなら理解を示そうって気にもなりますが、ミミズがのたくったようなきったない字で意味のわからん記号やローマ字を人が住んでいる場所に描いていくってマジで何の意味があるんですか? こんな低次元の行為でしか君たちは満足を得られないのか? って、深夜に待ち伏せして聞いてみたい気持ちです。なんとかしてくださいよ! 豚のおじさん!



お名前:NARIさん

A





こんなん?



俗に言う「タグ」っていうやつやね。確かに自分の住んでる家をスプレーやマーカーで汚されるのは気持ちええもんやないけど、こういうのってこちらから一方的に排除しようとすればするほど、その行為を「グラフィティへの抑圧」と捉えられて増殖しちゃうケースもあるから難しいんよね。グラフィティアートって大体その土地の地域性を象徴していたりもするもんやから、グラフィティへのアクションを起こす前にはまず「その地域で何が起こっているのか?」を観察する必要があるんよ。見た目にはミミズがのたくった字でも、それを壁に書き付ける者からすれば何かしら理由や衝動があってやってる行為やからね。
 
 
1967年、フィラデルフィアのダリル・マクレイという若者が、自分のあだ名であった「コーンブレッド」という文字を壁に描きつけたのが始まりとされるグラフィティの歴史。おじさん、あなたのご相談を読んで思い出した話があったんやけど、大阪ミナミのアメ村に関西電力の変電所があってね。


ここの壁には黒田征太郎というイラストレーターによって描かれた「鳥人」って壁画があって、地元のシンボルになってるんよ。でもこの「鳥人」の壁画に落書きしていく人間が後を絶たんくてね。消しても消しても上から落書きされるから、地元の商店会はほとほと手を焼いてたんや。「こりゃ単に排除すればええってもんやない」、そう思ったアメ村商店会は逆転の発想で、地元を代表する4人のグラフィティ・アーティストに依頼して、「鳥人」の壁画の下におのおの作品を描いてもらったんよね。それ以来、地元アーティストへのリスペクトの気持ちからか、壁画への落書きは一切なくなったそうや。「鳥人」の壁画は、4人のアーティストの作品とともに、また新しい一つのアート作品へと生まれ変わったわけやね。ええ話やな〜。
 
 
ジェイムズ・ティプトリー・Jrの小説やないけど、どんな物事でも背景をよく観察すれば「たったひとつの冴えたやり方」が思いつくもんなんかもしれんね。というわけでこのステキエピソードに乗っ取って、あなたのアパートにおじさんが直接ドープなグラフィティを描きに行くってのはどうやろか? もちろんテーマは「小学4年生」や。
 
 
まずは幾星霜にも渡って抑圧されてきたおじさんの欲望を表現するために、アパートの外壁をすべて真っ黒に塗りつぶすんよ。それからおじさんは全身に何十色ものペンキ缶をかぶり、マウスピース代わりにブルマーを噛み締めながら壁に向かってた全力の体当たりを繰り返す。


肉欲、憤怒、寛容、郷愁、悔恨、絶頂、焦燥、憧憬。自らの心の内でトグロを巻く感情のうねりを直接壁に叩きつけるように、何度も、何度も、何度も、何度も、体当たりを繰り返すんよ。やがてやっすいクソアパートの外壁は脆くも崩れ去り、あなたの室内が丸見えになった段階で、部屋の中から外側に向かって芦田愛菜ちゃんのポスターを貼る。漆黒の壁、救い難いほどに歪んだおじさんの欲望、そこにできた亀裂から覗く芦田愛菜ちゃんのアルカイック・スマイル。まるでバンクシーがパレスチナの隔離壁に描いたグラフィティのように、長く語り継がれる作品になると思わん? さっそくMKタクシー呼んで、今からあなたの家向かうわ。待っててや!
 















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